私は,意識について考えるうえで,現在のところ大きく3つの問題があると考えている.
① 意識の存在
そもそも意識はなぜ存在するのか.
脳では神経活動や情報処理が行われているが,なぜそれだけで終わらず,「私が何かを感じている」という主観的な経験が生じるのだろうか.
ここで私が意識として考えているものは,単に気を失っているかどうかという意味での意識ではない. また,ものを見る,音を聞く,匂いを感じるといった知覚そのものとも少し違う.
私が問題にしているのは,そうした経験が「私にとって起きている」という一人称性である.
つまり, 「なぜ世界は,私という一人称から経験されているのか」 という問いである.
そして,その一人称的な意識は何から構成されているのか. 脳の物理的な活動そのものなのか. 情報処理の特定の構造なのか. それとも,現在の物理的説明だけでは捉えられない何かなのか.
この問題を,
「意識の存在」
と呼ぶことにする.
② 意識の時間的な不変性
私の身体や脳は時間とともに変化している. 細胞や分子も入れ替わり,記憶や性格,価値観も変化する.
それにもかかわらず,子どもの頃から現在まで,世界を経験している「一人称」の意識そのものは,ずっと同じであるように感じる.
しかし,本当に同じ意識が続いているのかは分からない.
私たちは過去の意識そのものと現在の意識を直接比較することはできない. 過去について知るためには,現在に残っている記憶を参照するしかない.
だから,「昔からずっと同じ私だった」という感覚も,記憶によって作られている可能性がある.
一方で,記憶そのものが意識を成立させているわけではないように思う.
たとえば私から10年分の記憶が失われたとしても,その瞬間に,
「ここはどこだろう」 「何が起きたのだろう」
と世界を一人称的に経験している意識は存在するはずである.
つまり,記憶は意識そのものを作るものではないが,意識が過去から連続していると判断するためには使われている.
では,本当に同じ一人称が時間を越えて存続しているのか.
それとも,
$$ C_1 \rightarrow C_2 \rightarrow C_3 \rightarrow \cdots $$という連続した意識状態があり,それぞれが直前の状態を引き継いでいるために,「ずっと同じ私だった」と感じているだけなのか.
この問題を,
「意識の時間的な不変性」
と呼ぶことにする.
③ 意識の唯一無二性
私には,私の一人称的な意識しか存在しないように感じられる.
他者にも同じような意識が存在すると考えるのが自然ではある. しかし,私は他者の意識そのものを経験することはできない.
ここで完全なコピーを考える.
仮に私と身体,脳,記憶,性格,思考傾向までまったく同じ存在を作ったとしても,私はそのコピーの視点から世界を見ることはできないように思う.
コピーにも,
「私は私である」 「私は今ここから世界を見ている」
という一人称的な意識が発生するはずである.
しかし,その一人称は私のものとは共有されない.
すると,同じ身体状態,同じ記憶,同じ人格であっても,同じ一人称にはならない可能性がある.
では,何が一つの意識を「この意識」として成立させているのだろうか.
なぜ私は他者ではなく,この一人称から世界を経験しているのか.
なぜ複数の意識は互いに混ざることなく,それぞれ独立した「一人称」を持っているのか.
この問題を,
「意識の唯一無二性」
と呼ぶことにする.
この3つの問題にたどり着くまで
最初に私が気になっていたのは,もっと漠然とした疑問だった.
虫に意識はあるのだろうか.
AIは将来的に意識を持つことがあるのだろうか.
もしAIに意識が発生したなら,それはなぜ発生したと言えるのだろうか.
そして,もし意識というものが存在するなら,それを第三者が観測し,定量化することはできるのだろうか.
考えていくうちに,私は自分が「意識」と呼んでいるものが,単なる覚醒状態や知覚ではないことに気づいた.
赤いものを見たとき,意識について何も考えていなくても,視覚情報を処理して反応することはできるかもしれない.
しかし私は今,**「私は意識を持っている」**ということを,外部から教えられたわけでもなく,自分自身の経験として強く確信している.
この確信は,ものを見ることや匂いを感じることとは少し違うように思えた.
そこから,「意識とは,自分にとって世界が経験されているという一人称性なのではないか」と考えるようになった.
さらに,自分とまったく同じコピーを作る思考実験を考えた.
もし完全なコピーが存在したとして,そのコピーの意識を私自身が経験できるのだろうか. おそらくできない.
コピーも「私は私だ」と感じるだろうが,その意識は私の意識とは別のものになるように思える.
ここから,
「意識はなぜ一つの独立した一人称として存在するのか」
という疑問が生じた.
これが後に「意識の唯一無二性」と呼ぶことにした問題である.
同時に,睡眠やテレポーテーションについても疑問が生じた.
眠って意識を失ったあとに目覚めた自分は,本当に眠る前の自分と同じ意識なのだろうか.
もし身体を完全に分解し,別の場所にまったく同じ身体を再構成するテレポーテーションが可能になったとして,その場所で目覚めた存在の意識は,本当に移動前の私の意識なのだろうか.
再構成された存在には移動前の記憶があるため,「私はテレポートした」と当然感じるはずである.
しかし,移動前の一人称そのものがそこで継続していることを,それだけで証明することはできない.
さらに,人間の身体そのものも時間とともに変化している.
細胞や分子は入れ替わり,脳も変化し続けている.
その意味では,人間の身体はある種のテセウスの船のようにも見える.
それにもかかわらず,私の意識だけは,子どもの頃から今まで同じものだったように感じる.
なぜ身体が変化しても,「一人称」は変化していないように感じるのだろうか.
これが「意識の時間的な不変性」という問題につながった.
この問題を考える途中で,私は一度,意識の連続性を記憶によって説明できるのではないかと考えた.
過去の記憶が現在に残っているから,「私は昔から同じ私だった」と感じるのではないか.
しかし,ここで別の問題が生じた.
もし10年分の記憶を失っても,私は依然として今この瞬間を一人称的に経験しているはずである.
つまり,記憶を失っても意識そのものは消えない.
そのため,意識そのものと,意識が過去から続いていると感じることは別であると考える必要が出てきた.
また,メロディについて考えたことも,この問題を整理する助けになった.
「ド」「レ」「ミ」という音を完全に独立した瞬間としてしか認識できなければ,メロディとして感じることはできない.
直前の音がわずかに現在に残っているからこそ,複数の瞬間を一つの流れとして経験できる.
意識にも同じように時間的な幅があり,直前の状態を保持しながら一つの流れを作っている可能性がある.
これは,なぜ意識が連続しているように感じるのかを説明する手がかりにはなる.
しかし,そこで一つ重要なことに気づいた.
メロディのような時間的連続性をどれだけ説明しても,なぜそもそも,その流れを経験する一人称が存在しているのかという最初の疑問には答えていない.
つまり私は,それまで複数の異なる問題を「意識」という一つの言葉で考えていた.
そこで現在は,意識についての疑問を次の3つに分けて考えることにした.
意識の存在 : なぜ一人称的な主観経験そのものが存在するのか.
意識の時間的な不変性 : なぜ変化し続ける身体や脳の中で,同じ一人称が続いているように感じるのか.
意識の唯一無二性 : なぜ一つの意識は他の意識とは分離された,唯一の一人称として存在するのか.
この3つは互いに強く関係している.
しかし,一つを説明しただけでは,残りの問題まで解決するとは限らない.
そのため,今後はこの3つを分けたうえで,それぞれについて考えていきたい.
