芸術体験は,本質的に非常に私的なものである. 作品は個人の内面の一側面を照らす働きを持ち,それによって人は自分自身の世界を知覚する.
芸術は新しい世界を作るものではなく,すでに個人の内部に存在している世界の一部を可視化する契機である. したがって,芸術体験の本質は作品の意味を理解することではなく,自分自身を知覚することにある.
作品の意味は作者の意図に由来する. しかし,その意図が共有されない場合,作品は意味のない音や形の集合として存在する. それでもなお,その作品が個人の内面を照らすのであれば,芸術体験は成立する.
芸術体験から生まれる感情に優劣はない. 快であれ不快であれ,それが自分の世界の一側面を知覚させるのであれば,それは価値のある体験である.
人間は常に変化する存在であるため,同じ作品に対して抱く感情も変化する. それは作品の価値が変わったのではなく,自分の世界が変化したことを知覚したということである.
このように考えると,芸術の意味を決定するための批評や議論は本質的ではない. なぜなら,芸術体験は個人の内面において成立するものであり,そこに唯一の正解を定めることはできないからである.
批評は存在してもよい. しかし,それは作品の正しい意味を決定するものではない. それは単に,「自分の世界がその作品によってどのように照らされたか」を語る一つの主張に過ぎない.
人は社会的存在であるため,こうした主張を互いに語り合うこと自体は否定しない. しかし,その議論は正解を決めるためのものではなく,異なる世界が存在することを知るための行為である. このように,自分自身の世界を互いにぶつけ合うことこそが,議論の本質であると考える.
したがって,芸術において批評が持ち得る役割は,意味を確定することではない. それは,個人の世界がその作品によってどのように照らされたかを示す,一方的な主張にとどまる.
芸術は人生の一時的条件ではない. しかしそれは,自分の世界を知覚するための重要な契機となり得る.
