AIが人間を超えていく時代に,私は何を思うのか
最近,AIの発展によって,これからの人間社会がどのように変わっていくのかを考えることがある.
AIの利用は今後制限されるのか,それともさらに拡大していくのか.
私の考えでは,おそらく後者になると思う.
そもそも,人間社会は基本的に楽な方向,利益が得られる方向へ進んできた. もちろん,技術の発展によって失われるものもあるだろうし,倫理的な問題も生まれると思う. それでも,便利なものが登場すれば,人間はそれを使うようになる.
だからこそ,AIが今まで人間にしかできなかったことを次々と可能にしていくのも,自然な進歩だと感じている.
ただ,その変化を受け入れながらも,私自身には複雑な感情がある.
AIによって失われる創造性と,新しく生まれる創造性
AIが発展することで,人間の創造性の一部は失われていくと思う.
これまで人間が自分の頭で考え,試行錯誤しながら生み出してきたものを,AIが短時間で作れるようになる. 場合によっては,人間が何時間もかけて考えたものより,AIが生み出したものの方が優れていることもある.
しかし,私はこれを単純に創造性の喪失だとは考えていない.
例えば,プログラミングをする際,これまでは自分でコードを書き,問題を解決する能力が必要だった. しかし,AIがコードを書いてくれるようになれば,人間はどのようなものを作りたいのか,AIにどのような指示を与えれば効率よく実現できるのか,といった部分に思考を使える.
つまり,創造性が必要とされる場所が変わっていくのだと思う.
もちろん,将来的にはAIをどう使うかという発想すら,AIの方が得意になるかもしれない.
それでも私は,それを自然な進歩として受け入れられると思っている.
AIに対して感じる悔しさの正体
ただ,AIが自分より優れたものを生み出すことには,悔しさも感じる.
なぜ悔しいのかについては,自分なりに理由が分かっている.
私はAIが存在しなかった時代を生きてきた.
その時代には,自分の創造性や独自性が武器になることがあった. 自分だからこそ思いつくアイデア,自分だからこそ作れるものに価値があった.
しかし,AIの発展によって,そうした能力の優位性が薄れてきている.
自分の能力が低下したわけではない. それでも,自分より優れたものをAIが簡単に生み出せるようになれば,これまで自分の武器だと思っていたものが,以前ほど特別なものではなくなってしまう.
そこに悔しさを感じるのだと思う.
一方で,私はAIによって大きな恩恵も受けている.
これまで努力してこなかった分野や,専門的な知識を持っていなかった分野でも,AIの力を借りることで,ある程度の成果を出せるようになった.
つまり,自分の得意分野では相対的な優位性を失い,不得意分野では新しく可能性を得ていることになる.
私がAIによって得をしているのと同じように,AIによって自分の強みが脅かされている人もいるだろう.
だから,AIの発展に抵抗を感じる人の気持ちも理解できる.
ただし,私は自分の能力がAIに追い越されること自体を,悪いことだとは思っていない.
悔しいという感情と,技術の発展を肯定する考えは,私の中では矛盾していない.
私は創造することより,理想を実現することを求めている
ここで,自分がなぜ創造することに価値を感じてきたのかを考えてみた.
人類の歴史において,優れたものを創造する人は賞賛されてきたと思う.
新しいものを発明した人,優れた作品を生み出した人,誰も思いつかなかったアイデアを形にした人.
私自身も,そうした賞賛を期待して創造していた部分があるのだと思う.
何かを自分で作り上げることに達成感を覚え,自分の創造性を認めてもらいたいという気持ちもあった.
ある意味,私にとっての創造は自己満足に近いものなのかもしれない.
では,AIが自分の想像を超えるものを作れるようになった場合,それでも自分で作りたいと思うだろうか.
そう考えると,私が本当に求めているのは,創造するという行為そのものではなく,自分が思い描いている理想を実現することなのだと思う.
例えば,自分が理想とするゲームを,AIが自分以上の完成度で作ってくれるのであれば,私はそれを歓迎するだろう.
自分で作ったという事実よりも,頭の中にある理想の世界が実現されることの方が,私にとっては重要だからだ.
人間が特別な存在ではなくなること
この考えを突き詰めると,いずれ人間は知性や創造性において,特別な存在ではなくなるかもしれない.
これまで人間は,高度な知性を持ち,新しいものを生み出せる存在として,自分たちを特別なものだと考えてきた.
しかし,AIがそれらの能力で人間を大きく上回るようになれば,少なくとも能力という観点から見た人間の特別さは失われていく可能性がある.
私は,それも自然なことだと思う.
ただし,それによって人間の価値がなくなるとは思っていない.
なぜなら,人間には主観的な経験があるからだ.
例えば,ゲームをプレイして楽しいと感じること. 美しい景色を見て感動すること. 長い時間をかけて何かを達成し,満足感を覚えること.
AIがどれだけ発展したとしても,私自身が楽しいと感じた経験は,私にとって唯一のものだと思う.
仮にAIが私の感情を完全に理解し,私よりも優れた判断を下せるようになったとしても,私がその瞬間に何かを感じているという事実は変わらない.
客観的な能力で特別な存在でなくなったとしても,主観的な経験の唯一性まで失われるわけではない.
私はそう考えている.
経験を再現できるようになったら,その価値はどうなるのか
ただ,ここで一つ興味深い思考実験がある.
例えば,100時間かけてRPGをクリアしたとする.
その過程では,強敵に何度も負けたり,試行錯誤したり,キャラクターに愛着を持ったりする. そして,最後にゲームをクリアしたときには,それまでの経験が積み重なった達成感を味わうことになる.
では,将来的にAIがこの100時間分の記憶や感情を,すべて人工的に再現できるようになったらどうだろうか.
実際には一度もゲームをプレイしていないにもかかわらず,100時間プレイした記憶を持ち,そのときの達成感や感動まで完全に再現される.
しかも,本人には実際にプレイした場合との違いが分からないとする.
この場合,私はどちらを選ぶだろうか.
考えてみた結果,私は実際に100時間プレイする方を選ぶと思う.
なぜなら,私にとっては実際に100時間を過ごし,その時間の中で経験を積み重ねたこと自体にも価値があるからだ.
仮に,記憶を与える前に100時間眠らせて,現実でも同じ時間を経過させたとしても,その価値は変わらないと思う.
つまり,単純に100時間が経過したという事実が重要なのではない.
自分自身がその時間を生き,選択し,経験してきたという過程に価値を感じているのだと思う.
さらに,人工的な記憶を与えられたこと自体を忘れられるとしても,私は実際に経験する方を選びたい.
自分が気づけるかどうかとは関係なく,実際に経験したという事実を大切にしたいからだ.
仮想世界での経験にも,別の価値がある
では,AIが完全な仮想世界を作り出し,そこで実際に100時間を過ごせる場合はどうだろうか.
仮想世界であることは理解している. 自分の意思で行動し,失敗や成功を経験することができる. そして,その間は現実世界でも100時間が経過する.
この場合,私は通常のゲームをプレイすることと,仮想世界で過ごすことの両方に価値があると思う.
どちらの方が優れているという話ではない.
通常のゲームには通常のゲームの楽しさがあり,仮想世界には仮想世界でしか得られない経験がある.
そもそも,ゲームの中で起きている出来事も現実の出来事ではない. しかし,ゲームをプレイして楽しかったという経験自体は,現実のものだ.
同じように,仮想世界が人工的に作られたものだったとしても,そこで自分が経験したことには価値があると思う.
このように考えると,私は「現実世界であること」よりも,「自分自身が実際に経験すること」を重視しているのかもしれない.
AIの進歩は望ましいことなのか
ここまで考えてきて,最初のAIの話に戻る.
私はこれからもAIの利用は拡大していくと思っているし,それは人間社会の自然な進歩だと考えている.
しかし,それがすべての人にとって望ましいかどうかは,別の問題だと思う.
そもそも,何を望ましいと感じるかは人によって異なる.
AIによって自分の理想を実現できるようになることに価値を感じる人もいれば,自分の手で何かを作り上げることに価値を感じる人もいる.
AIによって仕事が楽になることを歓迎する人もいれば,長い時間をかけて身につけた能力の価値が失われることを恐れる人もいるだろう.
だからこそ,「AIの発展は人類にとって望ましいのか」という問いを,あまりに大きな範囲で議論しても,明確な答えは出ないと思う.
何について,誰の立場から,どのような価値基準で考えるのか.
少なくとも,ある程度は議論の範囲を絞る必要がある.
私自身,AIの発展によって失うものもあれば,得るものもある.
創造性でAIに追い越されることには悔しさを感じる. それでも,自分の理想を実現できる可能性が広がることには期待している.
そして,どれだけAIが発展したとしても,自分自身が実際に何かを経験し,そこに価値を感じることは変わらないと思っている.
これから先,AIがどこまで発展するのかは分からない.
今の自分の考え方も,技術が進歩するにつれて変わっていくかもしれない.
それでも現時点では,人間がAIより優れた存在であり続けることよりも,AIによって自分が実現できることや,経験できることが増えていく未来の方に,私は魅力を感じている.
